大阪玩具・人形住吉講

2017/02/27

第二章 住吉大社と石灯籠(2)
(二)常夜石灯籠の献納
住吉大社境内の石灯籠に関する詳しい調査は昭和7年に梅原忠次郎氏によってなされた。その調査をもとに住吉大社権宮司奥野茂寿氏が記録整理されたという一覧表がある。それによると、最古の石灯籠は寛永21年(1644年)の年号の入ったもので、元禄期(1688〜1703年)から享保期(1716〜1735年)にかけて献燈数がにわかに増えている。特に享保期は年数が長いせいもあるが、江戸時代を通じて一番多いのが目立つ。また享保、寛政、天保と幕府が三回の大改革をしているが、その時期に献灯数が増えているのも興味深いものがある。
江戸時代の元和年間(1615〜24年)に堺の商人らが、日用品を積んで江戸へ菱垣廻船を回航したのが大阪ー江戸間の定期船のはじまりであるが、寛文年間(1661〜1673年)以降、樽廻船が徐々にとってかわり、住吉講が常夜石灯籠を献納するころにはかなりの往来があったと想像できるのである。航海の無事を祈って各種の商人団体が講を組織して、競うように石灯籠を献納したこともうなずけるのである。前記の奥野茂寿氏が整理されたという一覧表によれば、願主の居住地は大阪・堺を中心に近畿各地・四国・中国・九州・江戸・奥州に及んでいる。また、願主は船関係、材木、砂糖、米、干鰯、昆布、綿、紅花、玩具など船によって生産地から大阪へ集荷され、値段が決められ、再び出荷されるものを扱う業者がほとんどである。
しかしながら改修されたり、新たに名前を追加されたりしている石灯籠はほとんど無く、そうした石灯籠を現在まで改修し続けている講は、翫物商による講ぐらいで、住吉大社側からこの「大阪玩具・人形住吉講」は高く評価されているのである。







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