2017/02/27
| 第一章 住吉講及び常夜石灯籠の歴史(6) | | (六)昭和36年の改修 | | 宝暦16年(1762年)に常夜石灯籠が建立されて200年目の昭和36年(1961年)11月に前記伊藤厳氏等の提唱で石灯籠が改修されることになった。「玩具商報」昭和37年1月号の関西版業界便りに「昭和36年11月22日に住吉大社翫物商石灯籠保存会(会長伊藤厳)の主催で石灯籠完成除幕式が挙行された」と簡単に紹介されている。それを裏付けるように、南基の石灯籠に彫られた名前の後半部分に「保存会役員」として会長の伊藤厳氏以下、次の人達が名を連ねている。 伊藤 厳 (伊藤厳商店社長) 木村 俊三 (木村商店社長) 田中 清吉 (大阪雛人形社長) 松井栄一郎 (松井栄商店社長) 今北精三郎 (今北金属社長) 塩路 重雄 (塩路商店社長) 山本 隆造 (箱根屋社長) 縄田藤一郎 (縄田商店社長) 谷 嘉春 (谷嘉玩具店社長) 中須虎太郎 (中須金属工業所社長) 赤松 長市 (小松屋社長) 小林 湯蔵 (小林商店社長) 中川 吉蔵 (中川吉蔵商店社長) 垣内宇一郎 (垣内商店社長) 三和 道雄 (みつわ屋社長) 森口 九一 (富士屋社長) 玉置徳次郎 (玉置周宏商店社長) 森 栄太郎 (森玩具社長) 大谷喜代三郎 (大谷光生社社長) 栃尾 親彦 (南海煙火製造社長) 山田徳兵衛 (吉徳社長) 野村 貞吉 (野村玩具工業社長) 斉藤 晴弘 (増田屋斉藤貿易社長) 井上市之助 (愛知玩具社長) 橋本 幸蔵 (橋本商店社長) 商報社 伊藤昇 (商報社社長) 東谷岩次郎 (東谷貿易公司社長)
さて、南基と北基の台座の基礎部分上辺に「建立二百年記念」として彫られている名前(上記保存会役員を除く)は以下の通りであるが、以前に比べ法人名が多くなり、会社のP.Rを兼ねているように見えるのも時代の流れであろうか。(次項掲載) いずれにせよ、この2年前の昭和34年4月には皇太子殿下(今上天皇)のご成婚パレードが華やかに行われ、テレビ受像機が爆発的に売れるという社会現象まで起こり、テレビ時代を招来していた。これが起爆剤になったかどうかは別として、高度成長が始まり、日本経済が未曾有の発展を遂げることになるのである。 この昭和36年の改修の中心になって活躍されたのは、自ら保存会の代表になられて事業を推進された元大阪府玩具問屋商業協同組合理事長の伊藤厳氏であるが、「玩具商報」を発行する商報社社長の伊藤昇氏の存在も無視はできないようである。 昭和36年3月号では記事として取り上げ、全国の業者に呼びかけているので転載する。 「馬鹿でかいこの石灯籠と翫物商という字を見ていると、二百年前の業界人の力と意気込みのほどがよくわかる。当時これだけのものは他の財閥たちですら出来なかったのである。この灯籠は、寸法が大きいだけに数十年ごとに改修が必要だ。やはり傾いてくるのである。文化5年、明治15年、昭和3年と過去3回の改修が行われ、その度にその時代の業界人が寄進者として名を石にきざみ、期せずしてここに業界史の生きた資料を残している。いうならば一種の重要文化財である。 こんど大阪の伊藤厳氏らが世話人となって傾いた灯籠を改修し、同時に当代の業界の人に広く製販三層から寄進者となって参加して貰って、その名を刻もうということになり、このほど広く呼びかけが行われているが、解体、増台、彫刻、再建、除幕の費用として1口1万円(数回分割)で同志をつのっている。今秋住吉大社は御鎮座千七百五十年祭を催すので、それまでに完成させたい意向のようである。 昔の業界人が高らかな意気を示したこのモニュメントを倒壊の危機から救い、改修することはよいことだ。とくに文化、明治、昭和3年と三代にわたって先輩が改修を重ねて来たものだから、現代の「花咲ける玩具界」がこれを放置する手はあるまい。できるだけ多数の人の手で、負担の偏重を避けてやってほしいものだ。」 伊藤昇氏は多分、玩具・人形業界の各種の会合などに取材を兼ねて出席し、呼びかけられたのにちがいない。目標は1口1万円で300口であったようである。当時の大学卒業者の初任給が1万3千円程度であったから1万円はそれなりの貨幣価値があったのである。また同年9月号では目標が達成され、8月7日に地鎮祭が行われたことを報告している。 更にこの地鎮祭の後、「玩具商報」の大阪担当者の清水氏が立ち会って台座に刻む名前の順序を抽選により決めたことも報告されている。因みに次に取り上げる平成3年の改修の予算は2千万円、名前の順位は五十音順となっている。また、保存会の役員をされた方々もほとんど鬼籍に入られ、台座に名前が刻まれた会社名も今は消えて無くなってしまったところもあり、石灯籠にはそれだけ時代の流れを感じさせるものがある。それだけに、今後も大切に保存したいものである。
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