2017/02/27
| 第一章 住吉講及び常夜石灯籠の歴史(3) | | (三)文化5年の改修 | | 住吉大社の常夜石灯籠は建立してから46年目の文化5年(1808年)に最初の補修が行われている。石の重みで傾いたのか、地震の影響かはっきりしないが、北基の上部の裏側に、京都と大坂の同業者により文化5年に川上喜内太夫の取り次ぎで再建したと彫ってある。この時代はオランダにのみ長崎の港を利用させていたが、イギリスやロシアの船が交易を求めて来航し、幕府はその対応に追われていた時代であった。また、間宮林蔵などが樺太を探検したり、当時は蝦夷地と言われた北海道で、高田屋嘉兵衛が活躍した時代でもあった。江戸では幕府が「寛政の改革」と称して華美に走りがちな町人を押さえ込むのに必死で、玩具人形業界でも贅沢品の取締りを受け、商品を取り上げられたり、罰金を払わされたりと大変であったようである。 前出の「江戸雛仲間公用帳」にはそうした様子が綿々と書き綴られている。そして、文化2年(1805年)の取締りでは南町奉行が十軒店、尾張町、麹町、その他の人形屋、小間物屋を捜査して、禁制になっている8寸以上の人形や金糸や錦を使った贅沢品と思われるものを没収している。結果的には白洲に引き出され、罰金を払うことになるのであるが、小売りした商人と彼等に商品を卸した問屋業者の両方の名前が記されている。 便宜上、整理してみたが後の( )内にある名前が禁制の商品を卸した問屋名である。 平松屋藤兵衛 (江戸・浅草の河内屋弁之助より買い受けの人形) 大槌屋清兵衛 (京都・寺町の鈴屋勘兵衛より買い受けの人形) 人形屋周助 (江戸・浅草の山屋喜之助より買い受けの人形) 大槌屋平兵衛 (京都・寺町の鑑屋勘兵衛より買い受けの人形三ツ) 酒好屋忠兵衛 (江戸・浅草の山屋弁之助より買い受けの人形二ツ) 日野屋忠蔵 (江戸・浅草の池田屋喜之助より買い受けの人形三ツ) 源兵衛 (江戸・浅草の山屋弁之助より買い受けの人形) 上総屋利八 (江戸・浅草の池田屋喜之助より買い受けの人形四ツ) 吉野屋助七 (江戸・浅草の吉野屋甚右衛門より買い受けの人形五ツ) 戸谷屋金兵衛 (同所同人より買い受けの人形四ツ) 山屋喜之助 (京都・五條通の松屋喜次郎より買い受けの人形五ツ) 徳兵衛 (江戸・浅草の吉野屋甚右衛門より買い受けの人形三ツ) 吉野屋甚右衛門 (京都・南川松原の鑑屋方より人形買い受け) 堺屋善次郎 (京都・南川松原の鑑屋勘七より買い受けの玉目入り人形二ツ) 吉野屋徳兵衛 代 伊右衛門 代 五兵衛 (京都・五條の鑑屋勘兵衛より買い受けの人形十一) 小林屋茂兵衛 (京都・五條寺町の人形屋惣右衛門より買い受けの人形八ツ) 清兵衛(江戸・浅草のとや庄八より買い受けの人形品々) 上総屋市兵衛 代 佐助 (右同所の沢田屋弁七より買い受けの人形二ツ) 右同町 半兵衛 (江戸・三島町よしのや助七より買い受けの人形二ツ御取り上げ) 池田屋喜兵衛 (京都・夷川上ル半市兵衛より買い受けの人形十二御取り上げ) ここでも何人かの江戸と京都の翫物商の名前が上がっているが、大坂の商人名は出てこない。こうした事件の三年後の石灯籠の改修であったればこそ、今度は大坂と京都の翫物商が中心になって当たったとも考えられるのである。
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